激闘の果て
「驚く」ということは、本当にときたまあることで、それは昨夜、何気なく見たスポーツ新聞サイトから始まった。
「三沢光晴、心肺停止で病院搬送」
三沢の試合は、生では見た事がなかったのだが、20年以上もテレビで見続けてきた。
私はその録画をDVD-R数十枚分も持っている。
三沢最後のリングは、フランチャイズである東京・有明から遠い広島の地であるが、満員の観客の前でのメインイベントとしてのタッグ選手権試合。
対戦相手は斎藤彰俊とバイソン・スミス。
このふたりは共に三沢を恩人と仰ぐ者。どちらも、サムライである。
斎藤は他団体を追われ、青柳政司とふたりで野武士のようなフリーレスラーであったところを三沢に救われた。バイソンはアメリカンプロレスに馴染みきれず引退までも考えていたところを三沢に招かれ、何年間もかけてチャンピオンレスラーとして鍛え上げられた。
これらの状況は、驚きを除けば、とても興味深い。
思えば、三沢光晴の試合は、よくここまで生きながらえたものだというような凄まじい激闘だらけだった。ヘビー級レスラーとしては小柄な体格でありながら、天性の運動センスと猫のような身のこなしで、誰にも有無を言わさぬ強さとカッコよさを見せつけながら激闘を切り抜けてきた。
若武者だったころ、ジャンボ鶴田の容赦ないバックドロップを何回も受けながらそれでもヌゥッと立ち上がって反撃に転じていたその三沢が、斎藤彰俊の美しいバックドロップを受けきれずに絶命したのだから、これまでの激闘による疲労は限界に達していたのだろう。
プロレスを背負い、日本最大のプロレス団体を背負い、46歳という年齢でありながらそれでも第一線を続けることができたプロレスラーの幸運と、そうしなければならなかったプロレスラーの過酷。
「プロレスは八百長である。しかし八百長であるにしても、これほどまでに強い男たちがいるのだ。」とは夢枕獏の言葉であったと覚えているが、そんな“強い男”の象徴だった三沢光晴の突然の他界は、驚愕とともに、私にとっては安堵でもある。
三沢光晴にとっても、そうであってほしい。
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