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2009年5月

2009年5月28日 (木)

歌詞折

前日にアップしたオールドデビル・ピッチ1の『待ちながら』をマスタリングして再アップしました。
マスタリングったって、リバーブかけてボリュームの変動を調整しただけですが。

そして、別枠で歌詞を掲載しました。
ピッチ1の「・・・ 歌詞はこちら ・・・」をクリックすると歌詞ページが開きます。
まぁねぇ、今回の『待ちながら』なんかは歌詞を見たって何のことだかわからないっていう部分があるんですけど、ちょっと実験的に入れてみました。
歌の中で「マンホールの蓋は・・・」って言ってますけど、マンホールの蓋が真ん丸なのは落下防止のためなんですってね。角度を持ったデザインにしてしまうとズレた場合に落下するんだそうですよ。あんな鉄板が落ちたら、それゃ危ないですわなぁ。

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2009年5月20日 (水)

おっそまつ!

え~、これまで、あっち(オールドデビルタイム)とかこっち(ランタイム)で、いろんな音楽を取り上げては、良いとか悪いとか、大きいとか小さいとか早いとか、いろんな好き勝手を書いてきたわけでありますね。
そんな中から「サイバーフォーク」という“成立ち”は可能だろうかとか、「ネットバスカー」という在り方はできないものだろうかとかを考えていたんですけども、さぁそれは具体的に、いったいどうなったらいいのかがわからないわけで、そんじゃ自分でやってみようかと大胆にも考えてしまったわけですよ。

で、まぁ、高校時代に使ってたギターとバンジョーを取り出して弾いて歌ってみました。
とりあえずは5曲、「別冊オールドデビルタイム」の「オールドデビル・ピッチ1」というページの中に入れてあります。

ジャンルとしては“パンクフォーク”でありますよ。

おひまな~ら、聞いてよね。
いっそがしくても、聞いてよね。
なんとなーくでも、聞いてよね。
え~と、まぁ、聞いてよね。

[オールドデビル・ピッチ1](←クリック)

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2009年5月18日 (月)

こうこうけいおん

「軽音楽」とは「いわゆるクラシック音楽(芸術音楽)に対して、より通俗的、大衆的な音楽をさす」名称なのだそうですが、じゃあ芸術はそんなに重いのかって、ポップスはそんなに尻軽なのかっていうことですよ。まぁ、尻軽ってことじゃないんでしょうけども。「尻軽」と「シニカル」は似てますけども、「室生犀星」と「スロー再生」も似てますね。

でね、『けいおん!』っていうアニメが人気あるんだそうですよ。ワタシも見ております。
このアニメは4コマの原作が面白いそうなんですが、私は別の興味で見始めました。
『けいおん!』は高校の軽音楽部の話で、そして制作が「京都アニメーション」なんですね。軽音楽部で京アニとくれば、そうです、ハルヒの『ライブアライブ』でありますよ。
このライブシーンでの曲『God Knows』(←クリック)は凄かった。実際の音楽にアニメ上の人物の演奏を合わせるというのは相当難しいことだと思うんですよ。その上、音と動きを合わせるだけではなくて、“グルーヴ”を再現しなければならないんですからね。
ハルヒの『God Knows』は細かいズレやギターのフレットポジションやらに違和感はあるんですが、音楽と作画によるグルーヴとしては一級です。
で、これを制作した京アニが『けいおん!』ですから、さぞかし強力な演奏シーンをやってくれるんだろうと期待してたんですけども、桜が丘高校軽音楽の娘っ子4人組は遊んでばかりいて、まるで演奏しないのね。もう第七回まで放送されていて、入学からクリスマスまで行ってるのにほとんど練習とかしてないのさ。それなのに学園祭ではいっぱしのライブをやってて、でもそのライブ部分は演奏シーンじゃなくてPVみたいな映像が流れるだけという、どうなんだこれゃ?なんですなぁ。
やっぱしあの京アニといえども演奏シーンの作画というのは現場的に大変な作業なんでしょう。まぁでも、どこかでやってくれることを期待して見続けてみようと思ってます。

私が通ってた高校でも軽音はあったんですけども、活動してたようなそうでもなかったような。私はワンゲル(登山部)を主体にやりながら、ついでにフォーク同好会にも入ってましたが、これがねぇ、桜高軽音部と同じでダラダラしてたのよ。シビアに音楽やろうって気がないやつばっかだったのさ。だから部室にはほとんど出入りしてなくて、学園祭には独立系ブルーグラスバンドとして出て、わたしらけっこう受けたのよ。

ん?、あっそう、何を書こうとしたのかっていうとですな、高校生の頃ってヒマだから音楽やってる人ってやたらと練習するじゃなんですか。で、若いし運動神経がいいから急激にテクが付いてゆくのね。“音楽”はわかってなくてもテクだけは急成長してゆくという、それが面白いんですよ。で、アニメ『けいおん!』もそういうところを再現してほしいんですけども、そんなことやっても音楽をやってる人にしか受けないですかねぇ。

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2009年5月15日 (金)

魂のBusker

え~、前回の記事で、イギリス・ロンドン地下鉄の「バスカー」について書きましたが、ご存じない方も割といらっしゃったようで・・・とかエラそうに言ってますが・・・、実はワタクシも昨年の11月まではご存知なかったのでござりやす。

ロンドンの地下鉄通路で演奏しているミュージシャンの存在というのは有名でしたから、このことは知ってましたけども、その「バスカー」という名前も、ロンドン当局公認の職業であることも、またその実際の演奏状態も知らなかったんですよ。昨年11月、京都新聞に、日本人で最初のバスカーとなった土門秀明さんのことが書いてあったので、それで初めて知ったんですけどね。
Rtkiji156 で、土門さんの著書『地下鉄のギタリスト』を読んで、YouTubeで実際の演奏風景を見て、これは面白い、というか興味深い音楽の場だと思い、前回書いたようなネットバスカーというものを思いついたりしたわけですよ。

『地下鉄のギタリスト』は非常に面白い本です。ほとんど日記のような一つひとつのエピソードは短編小説にでもなりそうな内容のもので、簡潔かつリズミカルに綴られている文章には土門さんのミュージシャンとしてのセンスが見事に表れています。読む前は、本自体のボリュームからすれば定価1400円はちょっと高いかなと思われたのですが、いやいや、読んでみれば十分に値することがわかります。
その中の『青い目の赤ちゃん』というエピソードは・・・、30代くらいの女性が乳母車を押して赤ちゃんをあやしながら近づいてきて「この子に何か弾いてくださらない」と頼むんですね。土門さんはショパンのピアノ曲を弾きます。それを聴きながら女性は乳母車の赤ちゃんに話しかけています。曲が終わり、女性は1ポンドのチップを入れて立ち去るのですが、土門さんがその乳母車の中の赤ちゃんを覗き込んだら、それは、青い目の可愛い、人形だった。というものです。

YouTubeには土門さんが自分で撮影したらしい映像がいくつもアップされていますが、この『Here,There And Everywhere』(←クリック)なんかが、演奏スタイルや地下通路の雰囲気がよくわかっていいんじゃないでしょうか。
40秒くらいのところで、歩いてきたおっちゃんがかなり手前から財布を取り出して、そしてさりげなくチャリンとチップを入れてくれるところが写っています。1分30秒くらいでは手前から来た若いニイちゃんが腰をかがめてチップ、土門さんが「サンキュー!」って言ってますね。まぁ、こんなにしょっちゅうチップが入るものではないらしいですけども、『地下鉄のギタリスト』には各エピソードごとの最後に「本日の稼ぎ ○○ポンド」と記されていて、まぁだいたい一箇所のピッチ(演奏場所)・2時間で30~40ポンドというところのようです。1ポンド150円として平均5500円くらいというところなのでしょうか。一日に2ピッチまで可能らしく、4時間演奏している場合は60ポンドくらいになっています。ん~、でもなぁ、4時間弾き続けて9000円かぁ。

バスカーは土門秀明さんのようなスタイルばかりではなくて、様々なジャンルの老若男女が500人くらい認可登録されているらしいんですね。

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2009年5月11日 (月)

ネットバスカー

イギリス・ロンドンの地下鉄構内通路には「バスカー」と呼ばれるミュージシャンがいるらしいですね。
バスカー(busker)のbuskとは「大道芸」のことですが、ロンドン地下鉄のバスカーはライセンスが必要で、オーディションを通過しなければなれない“職業”なんだそうです。
なぜライセンスが必要なのか?
彼らバスカーたちは殺風景な地下通路という場に潤いを与え、その場の質と環境を向上させる役割を担っているわけで、それに見合うミュージシャンとしての資質が必要だからですね。
バスカーはいわゆるストリートミュージシャンとは異なり、自己を主張するための音楽を演奏したりはしないのだそうですよ。バスカーの音楽とは、いわば“人が呼吸する空気と成り得る音楽”なのであって、その場に合わせた演奏をするんですね。

私たちの周りに、そんな音楽があるだろうかと思うんですよ。

ラジオやテレビから流れる音楽は、ヒットを狙うための抜け目のない商売モノです。
コンサートホールで演奏される音楽は、入場料を払う客を裏切らないための質と量を維持させた芸術であったりしますし、ライブハウスの規模であってもそれはやはり目の前にいる特定のお客さんを意識した音楽にならざるを得ないのですね。
カラオケの演奏は良く出来てるとは思うんですけども、あれは演奏ではなくて優良なプログラミングです。
スーパーマーケットや商店街に流れるBGMは、譜面の音符が周波数になっただけの魂のない音楽です。

でね、ワタクシ、インターネットという場にバスカーは存在できないものだろうかと考えるのですよ。ネットの中にいる大道芸としての音楽です。
現在のインターネットではいろんな音楽を聴くことはできます。ペラペラの電子音から名盤といわれる録音のサンプルまで、いろんな音楽を聴くことはできるんですけども、ネットという場にいてネットのために演奏されている音楽というものに出会ったことがないんですよ。
以前に『サイバーフォーク』という記事を書きました。サイバーフォークとは、インターネットの中にいる凡たる“フォーク(民)”によって演奏され、ネットを通行する“フォーク(民)”に向けられた音楽です。あの記事では、「『サイバーフォーク』が、出てくるような気がね、するんですけどね。っていうか、そうなってほしいなぁ。」と書いていましたが、そうなってほしいなぁ・・と待っているだけじゃなくて、自分でやってみようと思ったわけですよ。私が思うサイバーフォークを実際に自分で演奏して歌ってみようという、野望でありますよ。
でね、ゴールデンウィーク中に録音して、『別冊オールドデビルタイム』に出してみようと思っていたのですが、今年の花粉症は尾を引いてねぇ、すんごい鼻づまりと喉荒れでまともに声が出ませんでした。
でも、近々やってみたいと思ってます。

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2009年5月 4日 (月)

限界効用の逓減

前回の記事で、三上寛のライブステージをときおり映画のように感じたと書いていました。

NHK『100年インタビュー』という番組で、宮崎駿氏が「映画は一度見たらそれでよいもの。そのとき感じたことがあればそれを持ち続けていればいい。」と言ってました。この「一度見たら」というのは極言だと思うわけで、“連続して何度も見ることはない”という意味だったのだろうと思うのですが、これは観る側にとって大事なことかもしれないんですね。

ダイアモンドを一個持っているとします。
そこへもう一個、同程度のダイヤモンドが入手できたとします。
そのとき、2個目のダイヤへの満足度は最初のダイヤよりも低くなります。
それが3個4個と増えてゆけば、それらは同程度のダイヤモンドであるにも関わらず、入手したことに対する満足度は減ってゆくことになるんですね。
このような作用は「限界効用の逓減」と言われ、モノやサービスを消費する際に発生する、価値の変動を考えるための概念です(なっなっ、ときにはちょっと難しいことも言っとかないとなっ)。
で、なんでこんな話なのかといえば、「限界効用の逓減」はモノやサービスだけにとどまらず、映画や音楽ライブから得られる印象にも発生するのではないかということなんですよ。

私にとって35年ぶりであった三上寛のライブは“おわぁ~っ!”で始まり、その感慨は終演まで細ることは無かったのでありますが、帰り道に考えていたのでありますよ。
3ヵ月後にこの同じライブを聴いたならば、、“おわぁ~っ!”は今のと同じ“おわぁ~っ!”なのであろうか?。そして、さらに三ヵ月後に聴いたならばその印象はどのようになるのだろうか?
たぶんね、現時点での“おわぁ~っ!”の大きさは維持出来ないはずなんですよ。年に3回くらい三上寛のライブを聴いたら、それがいつもと変わらぬ渾身のライブであったとしても、3回目は“ん~、いつもの寛さんだなぁ”という納得しか残らないのではないかということです。

ワタクシ、これまでは、気に入ったミュージシャンがいるとライブがあるたびに“おっし!行っとこっ!”で、ライブに出かけていたわけですよ。年に3回くらい同じ人を聴きに行ったりしてましたね。でもですね、「限界効用の逓減」っていうことを考えると、“行っとこっ!”じゃないだろうっていうことになってくるわけです。ライブっていうのは毎回その出来が違うのではありますが、ひとりのミュージシャンのライブから得られる感慨というのはそうそう変わるものではなくて、その間隔が短いと「逓減」が発生するわけです。これはね、聴き手として決してよいことではないんですよ。聴き手は聴き続ければいいってもんじゃないだろうと、「聴く」ということを考える必要があるだろうということですよ。

ですからねぇ、年に一回ってとこじゃないかと、そう思っておるわけですね。
いくら気に入っても年に一回、というところじゃないかと。

まぁ、こんなことを今は考えていても、ライブのインフォメーションを見つけたら“おっし!行っとこっ!”になるかもしれないですけどもね。

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2009年5月 3日 (日)

無比

京都・拾得、三上寛のソロライブに行ってきました。

拾得は入り口の真横に階段があって、私が入ったそのときに階段を下りてきた人と目が合いました。なんとなく知ってる人のような気がしたので“あっどうも”な感じで会釈したら、その人も“おうっ”と頷いてくれたのですね。えっとこの人はと・・・三上寛だっ!。三上寛のライブに来たんだから当たり前なんですが、驚きました。

これまで、書籍やネットに三上寛の歌・音楽やライブについて書かれたものは多くあったのですが、どうもこれといって要領を得たものがなかったように思っていたわけですよ。で、私も、このランタイムにCDを聴いてのあれこれを書いてはいたのですが、やっぱり要領を得ないわけで、結局「私には異形を扱えません」とか言ってお茶を濁していたわけですよ。

で、35年ぶりに聴いた寛さんのライブは、高校生の頃と変わらず、“おわぁ~っ!”で始まり、そのまま終わりましたね。「えっと、この人の音楽は・・・」などと考える隙などないのでありますよ。
三上寛の歌というのは、あんなようなこんなようなというような例えようが無く、しかも比較する対象もなく、“要”を“領する”という手順が踏めないのね。
私がこれまでに述べていた「妖怪言葉洗い」だの「ひとり異種格闘技」だの「半壊のミラーボール」だの「テロリスト」だのはどれも間違ってはいなかったと確信はしたのですが、しかしどれもが三上寛のカケラしか評することが出来ていないのに気づきましたよ。
いやぁ、この人はちょっとなぁ~・・・、
歌・音楽を言葉による文章で表しきれるとは思っていませんが、ある程度までは迫ってゆけるものだと思っているんですよ。
しかしなぁ、寛さんの場合は、どうもなぁ~・・・

Kiji153 ライブは『虹』に始まり、アルバム『吠える練習』収録曲を中心にMCなしで立て続けに歌われ、後半は『某月某日』でスタートしてライブアルバム『寛流』のごとく進み、ラス前『大感情』、ラスト『負ける時もあるだろう』。そしてアンコール一曲。
あー、来て、聴いて、よかった。

不思議なのは、5メートル前方に三上寛本人がいるのに、時折そのステージが映画のように思えたことです。いままではテレビで見ることが多かったからかと思いましたが、どうもそういうことじゃなくてね、ん~、なんなんだろなぁ。
寛さんは謎が多いよ、まったく。

で、写真を撮ろうと思ったのですが、寛さんって意外に動くんですね。フラッシュ無しではとてもじゃないがマトモな画像にならないので、失礼ながら一発だけフラッシュを焚かせていただきました。それでも顔がブレてます。

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2009年5月 1日 (金)

ミニコミ=オルタナティブ?

で、前回の続きですが。

これってさぁ~、ミニコミじゃないですか。
直接の対人講義と紙媒体での配布ですからね。
ま、神谷さんも、かなり前ですが、「ミニコミで・・・」ということを書いておられましたから、そのつもりの企画なんでしょうけども。
オールドデビルタイムの方で“8割と2割”っていう蕎麦処みたいな話をしてまたが、オフノートを聴く可能性があるのは間違いなく2割の「間違ってる人達」です。
で、しかしですよ、ミニコミでこの2割の人達に届けようというのは無理なんじゃないかと思うんですなぁ。雑誌をどのように配布されるのかはわかりませんが、一般書店に並ぶことはないでしょうし、これまでの顧客とそこからの口コミ、またライブハウスなどへの委託というスタイルになるのでしょうか。先日のメールでの告知では、これらの雑誌・レターマガジンの内容はインターネット上には掲載しないようですからね。

インターネットで世界に発信!ってなこと言っても、発信したはいいけど誰が受信してるのかわからないっていうのはありますよ。ひょっとすると誰の目にも留まってないということもありうるわけです。私なんかしょっちゅうそんなことを考えて(頭髪とともに)不毛なことやっとるんじゃないかとビビったりもしておるわけです。
でもねぇ、インターネットっていうのは“誰が見ているかわからない”というのが大きな可能性としてあるんですよ(危険性も伴いますが)。実際私がオフノートを知ったのもインターネットによるわけで、もしもネットがなかったらたぶんいまだに知らなかったでしょう。誰も見てないかもしれないけれども誰かが見てるかもしれないという可能性は、不確かではあるけれどとても大きい可能性だと思うんですよ。
今回、講義・刊行・発行されるものの内容は単なる販売促進情報ではなくて「音楽を語る」というものらしいですから、これは神谷さんだけではなくて執筆陣が揃えられるわけで、当然そこには原稿料が発生し、それを回収するためには“販売”せねばならんのでしょう。
でもなぁ・・・と思うのさ。

最近の出版業界では「グーグル・ライブラリ・プロジェクト」が問題になってるらしいですね。グーグルが世界中の出版物をデジタル化してネット上で利用できるようにすることを目論んでいるプロジェクトです。これね、いろんな権利や利益がからんでくることなんですけども、将来的なネットを介した集合知の成立には欠くことが出来ない仕組みだと思うんですよ。グーグルは商売の拡充としてやっていることかもしれませんが、ひょっとすると上部構造というものを見据えているのかもしれませんしね。

私自身としては、現状のインターネットの玉石混合ぶりには鬱陶しさを感じることも多いですし、それを利用している人たちの意識に疑問を持つこともあります。8割と2割というこの割合もインターネットによって大幅に変わることはないとも思いますしね。

でもなぁ、ミニコミに落ち着いてしまうっていうのはどうなんだろ?とね、思うわけよ。

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