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2009年3月18日 (水)

タテヨコナナメ

ふたつ前の記事で『落語家論/柳家小三冶』のことを書いていましたが、小三冶の師匠は柳家小さんでありますね。落語家で初めて人間国宝に認定された人です。
鈴木常吉さんがブログに「小さんが良い」と書いているんですね。以前はそれほどでもなかったらしく、「あの良さが分からなかった自分を少しだけ恥じてます。」とまでおっしゃってます。ワタクシ、そーかなぁ・・・と思ってですね、「いまだにその良さがまったくわからんのです。」とコメントを入れてみたら、つねさん、それでも「小さんは良い」のだとおっしゃるのね。
Rtkiji139 で、つねさんが聴いたという『落語・昭和の名人』第三巻・柳家小さん(1190円)を買ってみました。これは今年の1月より小学館から刊行されているCDつきマガジンのシリーズで、私は第一巻・古今亭志ん朝を持ってます。

歌・音楽と同じく、落語家にも人それぞれの好みがあって、上手い落語家が好きな人、面白くなきゃイヤだっていう人、味わいのある落語家こそがっていう人、いろいろです。
私の場合、初めて聴いた(見た)ときに「これゃだめだっ」と感じた人は何年経ってもダメで、30年も経てば私自身も当の落語家も変わってゆくはずですが、それでもダメなものはダメなんですね。でも、初めて聴いたときに少しでも“おっ!?”っていうところがあると、その後はことあるごとに聴いてみて、その印象が変わってゆくことがあるんですよ。
で、柳家小さん師匠でありますが、初めて聴いたのはずいぶん昔のはずで、たぶん小学生のころでしょうけど、”おっ”とは思ったんですよ。でもその印象は“上手いけど、ぜんぜん面白くない”でした。そしてね、その印象は後年に至ってもまったく同じで、最盛期の高座も晩年のものも“上手いけど、ぜんぜん面白くない”んですよ。
でも、小さん師への一般的評価は絶対といっていいほど高いんですよね。小三冶さんなんか「落語は小さんに極まれり」みたいなこと言ってます。まぁ、だからこそ弟子になったんでしょうけども。でもなぁ、そーかなー・・・?とね、ワタクシ不思議でしょうがないのね。

小さんの落語は、澱みがなく無理に笑わせようとしない滑らかな口調と展開で、名人だと言われれば確かにそうかもしれません。小さん師の落語家としての大前提は「心邪(よこしま)なる者、噺家になるべからず」なのだそうで、小さんの落語は確かにこれを体現しているのではありますね。たしかにそうなんだ、「あざとさ」が無いのよ。
小さんの落語に登場する人物は、全員が“小さんの顔”ではないんですよ。立川談志の落語の場合はそこに出てくるすべての人物に談志の顔がベッタリと張り付いているんですが、それとは正反対なんですね。小さんの落語は小さんが演じているにも関わらず、その中に小さんが出てこないんです。いうなれば落語が宙に浮き上がってるのね。これ、私にとっては面白くもなんともないんですけど、“演じている”という観点からすれば、ものすごく高度なことではあるんです。

でもなぁ、「こころヨコシマなるもの」は落語家になっちゃいかんのだろうかなぁ。
昔、誰やらが、♪タテジマのシャツを着てヨコシマな恋をしよう♪って唄ってました。
瀧川鯉昇は「落語的な視点とは、すなわち物事を斜めに見ること」だと言ってます。
で、私は、そういうことなんだと思うんですよ。

オールドデビルタイムの最新記事では「間違ってない人たちって、面白くない人たちなんだよ」ということを書きましたけど、そうなると、じゃあ“面白い”って何なんだということをですね、突付いてみなけれゃならないことになるんですよね。

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コメント

面白くなくっても、
面白くないから、

面白い。

ってのもあるんじゃないの?

小さんがそうだとも言えませんが。

(円生はやっぱりつまらない)

投稿: かふ | 2009年3月19日 (木) 01時57分

その2

僕が初めて小さんを聞いた印象はへたくそな落語家、まるで女ができない人でした。

でも、まぬけな人、のろまな人を演じるのは上手だなと思っていました。

私は、おちょこちょいな人物が出てくる噺がすきなので、小さんの噺は、今迄、縁が遠かったようです。

「宿屋の仇討」、これはおちょこちょいが出てくるすきな噺です。
いろんな人の噺が下敷きになっているためなのか、小さんの演出がぐっときたのかもしれません。

投稿: かふ | 2009年3月19日 (木) 02時25分

面白くするということで落語家が納得してしまうと、向かう方向は枝雀落語で、ギャグマンガの進化と同じく「キチガイの世界」になってしまうと思うんですよ。

小さんは「腹抱えて笑うのが落語じゃない。クスッと笑えるのが落語です。」と言ってましたけど、それが自壊へ進まない芸を目指していたということなら、小さんの落語は見事に成し遂げられたということでしょうね。

私が瀧川鯉昇に注目しているのは、呆れるほど面白い『時そば』をやるかと思えば、丹念にストーリーを聞かせる『御神酒徳利』もやってしまうという懐の深さからなんですよ。

小さんの懐は広かったけど、深くはなかったと思っているんです。

投稿: たなこすん | 2009年3月19日 (木) 09時33分

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