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2009年3月

2009年3月26日 (木)

クルマい

私のクルマはポルシェです。
ま、ポルシェといっても国産ですが。
ま、国産といっても広島ですが。
ま、あれをポルシェといっているのは私くらいで、マツダだという人も多いんですが。

最近、クルマってデカいなぁと思うんですよ。人のサイズに比して、とてもデカい。
去年から自転車を使うことが多くなって、クルマで出かけることはめったになくなりました。走行距離は年間2000キロくらいで、車検に出した際に「クルマ屋がこんなこと言っちゃいかんのですけど、タクシーとレンタカーで済ませた方が出費は相当少なくなりますねぇ」と言われたくらいです。
でね、普段は15キロ以内なら自転車を使っていて、その自転車はいわゆるママチャリで、表通りと裏通りをクルクルと走り抜けているんですが、その際には当然クルマに出くわすわけです。そして思うのは、クルマっていうのは邪魔だということですよ。
京都市内を走っているクルマの、そーですねぇ7割くらいかな、運転者がひとり乗っているだけで特に積載物もない自家用車でありますね。人ひとりが移動するのにあれだけデカい乗り物を動かしているんですね。
そして、運転者はあのデカさを持て余しているんですよ。運転している人自身は意識していないかもしれないけれど、自転車から見ると、クルマの動きというのはギクシャクしていて、クルマとクルマの関係はギスギスしていて、持て余している様子がアリアリとわかります。世の中の不穏の根源の多くはクルマにその源があるのではないかと思えてしまうほどなんですよ。

私もクルマは好きです。ポルシェ(言い張る)に乗ってるくらいですからね。
運転するのは面白いし車内は快適だし、多くの人にとって魅力のある物品でありますよ。そして、高価な物品ではあるけれど、あの程度の価格なら多くの国民に手が届くシロモノなわけで、だからあれだけの数が走っているんですね、ギクシャクしながら。
そして、今回の経済危機でもわかるように、あの高価な物品が売れなくなるということはカネの動きが鈍くなるということです。クルマに関わる産業に従事している人たちの数はとても多くて、そこに出入りするカネの量が減少することはすなわち「景気が悪い」ということになるわけですね。
でも、クルマが売れて世の中で動いているクルマが増えれば、そこからはギスギスが発生するんじゃないか。
自動車産業という巨大な構造体は“経済”というものを下支えしているんですけども、その構造体が活性化すれば世の中のギクシャクは増大してゆくんじゃないか。

マスコミというインフラは、人に達する情報を大幅に増やすことによって「知」を下支えしてきたはずですが、「マス」を維持するために無理を続けなければならないようになり、「ウソ」も「ブラフ」も「置き換え」も平気で“職務”としてやってしまうことになる。

ワタシラはそれらと引き換えに何を手に入れているのかっていうことが気になっているんですけどもね。

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2009年3月23日 (月)

他抜き?

さて前回は小さんの話でしたが、あれはあれでおしまいにしようと思ってたんですが、いや、終われないですね。あれから何回も小さんのCDを聞いてたら、なんつーんでしょうか、私はこの人とは相容れないのですよ。

まず「心邪なるもの、噺家になるべからず」のことですが、「邪(よこしま)」っていうのは“正しくない”とか“道に外れている”ということですね。この場合、いかなることを「正しい」とするのか、どのような行き方を「道」だと考えるのかによって、その「邪」の概念が違ってきます。
小さんは「剣道」という「道」を精進していました。
あのですね、私、中学に入ったときに剣道部に入ったんですよ。特に剣道がやりたかったわけじゃなくて、母親に「剣道とかカッコいいんじゃないの」とか言われて、そーかもしれないなぁ、っていうそれだけで入部したんです。で、実際に入部して先輩たちが目の前で試合してるのを見ていてですね、とても嫌な感じがしたんですね。
剣道って、あれね、人の隙をついて棒切れで殴りかかるというそれだけのことなんですよ。で、殴られたら痛いから仰々しい防具を付けてるのさ。あの防具がカッコいいという人もいるみたいですが、私にとっては“卑怯”以外のなんでもなかったですね。あれなら素手で殴り合ってるチンピラの喧嘩の方がよっぽどカッコいいんですよ、私にとっては。とてもイヤな感じが続いた私は何ヶ月かで辞めて、登山部(ワンダーフォーゲル)に入り、それが長く続くことになりました。
昔、現在の天皇が皇太子であった頃、皇太子が愛好していたテニスについて意見する者がいたらしいんですよ。「将来において天皇の座につく方が、相手の打てないところに球を打ち返すというような卑怯なスポーツをなさるというのはいかがなものか・・・」という論旨なのでありますね。まぁアゲアシ取りみたいな言い方ですが、でも間違ってはいないと思うんですなぁ。
剣道も相手の隙をうかがって、そこに打ち込んで、それが勝ちという「道」のようです。
小さんは色紙にも手ぬぐいにも「他抜」という字を書いてました。「他抜値入り(たぬきねいり)」で、「他者を抜いて、自分の価値を上げる」というんですね。剣道の達人であったこの人は、他者を抜くことで自分の価値(勝ち)を上げようとしていたようです。これが柳家小さんの「正しい」であり「道」なのであったとしたら、私にとってはまったく相容れないのですよ。

芸にしてもスポーツにしても、その上達にライバルの存在は欠かせないものでしょうが、芸における精進とはおのれの芸を磨くことであって、“他者を抜く”という目的を持って行われるべきことではないだろうと思うのですよ。結果としてそうなったとしても、それは目指すべき処ではないのではないかとね、思うんですよ。

小さんの落語には「あざとさ」がないんですが、それは「あざとさ」を芸として成り立たせるまでの力量がなかったというだけのことで、だからこそ「了見になりきる」というそれのみにしか方法を見出せなかった。そしてその結果があの実直な芸風になっていったのだろうと、『宿屋の仇討』を聞いていて思いましたね。

小さんの落語は私にとって“上手いけど、ぜんぜん面白くない”のでありますが、あれが人間国宝だというのなら、日本国の総論として“上手いけど、ぜんぜん面白くない”のが良しとされるわけで、日本人の多くはそういう人たちなのだろうなぁ、とか思うわけですよ。まぁ、国民投票で認定されているものではないですし、なんかワケわからんところで決まってしまうものらしいですけどもねぇ・・・。

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2009年3月18日 (水)

タテヨコナナメ

ふたつ前の記事で『落語家論/柳家小三冶』のことを書いていましたが、小三冶の師匠は柳家小さんでありますね。落語家で初めて人間国宝に認定された人です。
鈴木常吉さんがブログに「小さんが良い」と書いているんですね。以前はそれほどでもなかったらしく、「あの良さが分からなかった自分を少しだけ恥じてます。」とまでおっしゃってます。ワタクシ、そーかなぁ・・・と思ってですね、「いまだにその良さがまったくわからんのです。」とコメントを入れてみたら、つねさん、それでも「小さんは良い」のだとおっしゃるのね。
Rtkiji139 で、つねさんが聴いたという『落語・昭和の名人』第三巻・柳家小さん(1190円)を買ってみました。これは今年の1月より小学館から刊行されているCDつきマガジンのシリーズで、私は第一巻・古今亭志ん朝を持ってます。

歌・音楽と同じく、落語家にも人それぞれの好みがあって、上手い落語家が好きな人、面白くなきゃイヤだっていう人、味わいのある落語家こそがっていう人、いろいろです。
私の場合、初めて聴いた(見た)ときに「これゃだめだっ」と感じた人は何年経ってもダメで、30年も経てば私自身も当の落語家も変わってゆくはずですが、それでもダメなものはダメなんですね。でも、初めて聴いたときに少しでも“おっ!?”っていうところがあると、その後はことあるごとに聴いてみて、その印象が変わってゆくことがあるんですよ。
で、柳家小さん師匠でありますが、初めて聴いたのはずいぶん昔のはずで、たぶん小学生のころでしょうけど、”おっ”とは思ったんですよ。でもその印象は“上手いけど、ぜんぜん面白くない”でした。そしてね、その印象は後年に至ってもまったく同じで、最盛期の高座も晩年のものも“上手いけど、ぜんぜん面白くない”んですよ。
でも、小さん師への一般的評価は絶対といっていいほど高いんですよね。小三冶さんなんか「落語は小さんに極まれり」みたいなこと言ってます。まぁ、だからこそ弟子になったんでしょうけども。でもなぁ、そーかなー・・・?とね、ワタクシ不思議でしょうがないのね。

小さんの落語は、澱みがなく無理に笑わせようとしない滑らかな口調と展開で、名人だと言われれば確かにそうかもしれません。小さん師の落語家としての大前提は「心邪(よこしま)なる者、噺家になるべからず」なのだそうで、小さんの落語は確かにこれを体現しているのではありますね。たしかにそうなんだ、「あざとさ」が無いのよ。
小さんの落語に登場する人物は、全員が“小さんの顔”ではないんですよ。立川談志の落語の場合はそこに出てくるすべての人物に談志の顔がベッタリと張り付いているんですが、それとは正反対なんですね。小さんの落語は小さんが演じているにも関わらず、その中に小さんが出てこないんです。いうなれば落語が宙に浮き上がってるのね。これ、私にとっては面白くもなんともないんですけど、“演じている”という観点からすれば、ものすごく高度なことではあるんです。

でもなぁ、「こころヨコシマなるもの」は落語家になっちゃいかんのだろうかなぁ。
昔、誰やらが、♪タテジマのシャツを着てヨコシマな恋をしよう♪って唄ってました。
瀧川鯉昇は「落語的な視点とは、すなわち物事を斜めに見ること」だと言ってます。
で、私は、そういうことなんだと思うんですよ。

オールドデビルタイムの最新記事では「間違ってない人たちって、面白くない人たちなんだよ」ということを書きましたけど、そうなると、じゃあ“面白い”って何なんだということをですね、突付いてみなけれゃならないことになるんですよね。

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2009年3月16日 (月)

必要ないんだけども

「アナログ」って、右上に出てますわなぁ。脅すようにねぇ。
2011年に完全移行とからしいですけど、どうなんでしょうね、あれは。

この前の『モヤモヤさまぁ~ず2』で自由が丘の電器屋のおっちゃんが「わたしゃデジタル嫌いなんだよね。みんながみんな、あの機械を買えるわけじゃないもんねぇ。」って言ってしまって、出演者3人ともが“ええぇ・・・それを言われちゃ困る”って顔してましたけども、あれをカットせずに流してるわけだから、デジタル化推進中のテレビ東京でさえそういう意見を理解してるってことですね。
国民も電機業界も放送局も望んでないのに、ただ内需を拡大するためだけに行われる強制的な放送改革だとか言われてます。あれ、デジタル放送ってUHFになってしまうからアンテナまで付け替えなきゃいかんのでしょ。ウチの二階の物干しから町中をくるうっと見渡しただけでも、あれだけの数のアンテナを全部取り替えるのかと思うと壮観ではありますな。

『蟲師』っていうアニメを今NHK-BSで放送してます。
以前にフジ系列の地上波で放送していたときに、ふ~ん変わった仕様のアニメだねぇとか思いながら時々見てたんですけども、BSデジタルでの放送を再度見てみると、なんかね、かなり印象が違うんですよ。“なんかね”は何なのかと考えると、画がきれいだっていうことなんですね。私が自室で使ってるテレビはもう20年以上も前の15インチですから、ずいぶんブラウン管も劣化してるはずなんですが、それでも印象が違うというのがわかるほどデジタルの鮮明さは明らかなんでしょうなぁ。
で、地上波アナログがデジタル放送になってこれなんだから、DVD画質っていうのはもっと上なんだろうかと、『蟲師』の中古DVDを買ってみたら、これまたデジタル放送の上を行くきれいさなんですよ。
Rtkiji138 『蟲師』っていう話はいまどきの放送コンテンツからすると異質ですから、アニメ化して放送するなら画の美しさで魅せてしまおうという企画なんでしょうけど、それは見事に実現されています。いや、ホントきれいなんだよなぁ。話自体も不思議なもので、それはそれで惹かれるわけで、原作コミックも古本市場で2冊買いまして、原作者・漆原友紀の筆致は見事なものだと思うんですけども、アニメ化したことでより以上に質が上がりましたね。その上質なアニメをデジタルで鮮明に放送してしまうとね、いやぁ見事に見事ですわなぁ。

で、ですね、世間の皆さん同様に私もデジタル化なんて必要ないと思ってるんです。ウチはケーブルテレビなのでもうすでにデジタルの視聴が出来ていて、デジタルチューナーが入ってるHDDレコーダーが一台だけあるので受信は出来てるんですけども、その他はアナログがホントに見られなくなるまで購入する気はないんですよ。
でもなぁ、『蟲師』のあれを見てしまうと、必要ないとは思っていてもやっぱりなぁ・・・とか、春に揺れる乙女心なのよねぇ・・・って、オッサンなんだけども。

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2009年3月 7日 (土)

ズラりっと

「フィギュア」ってものがエライことになっとるらしいという噂、の続きズラ。

最近は「可動フィギュア」っていうのがあるんですよ。知ってましたか、奥さん。
フィギュアっていうのはポーズが決まってるもんだと思ってたら、関節の角度を変えたり回転させたりできるように可動ジョイントが組み込まれたものがあるんですね。
で、買ってみました。
Rtkiji137 お値段は、定価2499円のものが870円。なんでこんなに安いのかっていうと、この機種は個体差にバラつきがありすぎるっていうので評判悪くて、アマゾンで投売りになってたんです。私のところに届いた個体はどうやらしっかりしるようですけどね。
この「リボルテック・セイバーオルタ」は高さ145ミリでかなり小さくて、それに埋め込まれた可動ジョイントの構造は見えないんですけども、うまく動くもんです。だもんで、いい歳してやたらと遊んでしまいます。

あのですね、アキバ系オタクの方々の場合、アニメ雑誌なんかだと同じものを三冊買うっていうのがあるらしいんですよ。なんで三冊かっていうと鑑賞用・保存用・布教用なんですってね。この買い方を「こなた買い」というらしいのですな。「こなた」というのは『らき☆すた』というコミックス作品(アニメもあり)に出てくる「泉こなた」のことなんだってさ。一応このアニメを見てみましたが、もう“しっちゃかめっちゃか”でありまして、ハハハハ・・・と脱力笑いしか出てきませんです。こなたは埼玉県在住なんですね。
でね、この“こなた買い”をフィギュアでもやってしまう人がいるらしいんですよ。フィギュアの箱ってかなりデカイのに、それを3体ですよ。3つまでいかなくても2つ買う人は多いんですってね。それは展示用と保存用であったり、アタリ・ハズレの保険であったりするんだそうです。アタリ・ハズレというのは、フィギュアは樹脂製で彩色が手作業ですから個体差というのがあって、どうしても出来不出来があるらしいので、出来のいい方を選んで他は売ってしまったりということですね。
でもなぁ、雑誌だったら価格も低いですけども、フィギュアの場合は安いものでも2500円くらいしますし、7000円前後っていうのはざらにありますから、これを2つ3つと購入するっていうのは根性入ってないと出来ないですよ。それにフィギュアを買いだすとキリがなくなるらしくて、それはわかる気がします。ホント、よく出来てんのよ。

でね、購入価格が870円だったわけですよ。
アマゾンです。
っちゅうことはこれだけ買ったわけではないんですよねぇ、1500円以上でないと送料いかれますからね。価格調整のために“購入予定品”の中から何を選んだかというと、書籍『落語家論/柳家小三冶』760円であります。選択理由は、鈴木常吉さんがブログでこの本のことを書いてた、っていうそれだけのことで、特に読みたいというわけではなかったんですけども、これがね、奥さん、ちょろっと読み始めたら面白いのよ。
でね、これと談志の『現代落語論』とのことをオールドデビルタイムに書きたいなぁと思ってるズラ。

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2009年3月 3日 (火)

それくらいのこと

「フィギュア」っていうものがエライことになっとるらしいという噂は前々から見聞きしておったのです。私は、いわゆるオタクであると自認しておるのですが、フィギュア趣味というのはないんです。でもまぁいくつかは持っていて、このブログでも以前にエヴァンゲリオンを出したことはありますが、これまで私がフィギュアを入手していた目的は、構造あるいは形状を確認するという目的だけだったのですよ。

でね、ちょっと前にアマゾンのフィギュアの部を見ていたんですけども、ホント、噂に違わず確かにエライことになっとります。で、ふーん・・・へぇ~・・・と見ていたんですが、その中で、おりゃまっ!と驚くようなものがあったのですよ。
それはアマゾン商品ページのちっこい写真だけでもその細密さがわかるような凝ったもので、中世ヨーロッパの騎士の姿をしております。甲冑モノ好きの私としてははググッときました。そしてお値段がですね、参考価格の半額でありまして、いっそうクグッときましたのでね、クグッと購入ボタンをクリックしたのでありますよ。
Rtkiji136 それが画像のこれなんですが、カメラと腕がイマイチなのできれいに撮れてません。これの詳細はいろんなフィギュアサイトにでていますから興味のある方はそっちの方を見てちょうだいよ(特に「foo-bar-baz」のレビューは秀逸)。
このフィギュアは「セイバー」という名前で、『Fate』というPCゲームに出てくるキャラクターらしいんですよ。私はゲーム関係のことは全然わからないのでこのキャラのこともまるで知らないんですが、このデザインと造型と彩色は見事です。しかしですよ、この見事なフィギュアが、発売直後なのにお値段半額なんですよ。その原因はどうも「顔が似てない」ということらしいんですなぁ。アニメ版をちらっと見てみましたが、確かに似てません。けどさぁそれくらいのことはいいじゃんかさぁと私なんかは思ってしまうんですが、フィギュアのファンからするとそうじゃないらしい。このセイバーだけではなくて、アマゾンのフィギュア部門の「レビュー」を読んでいると、みなさん非常に厳しいんですなぁ。
フィギュアっていうのはその多くが、コミックやアニメやゲームといった画像として表現されているものを立体化してあるものですから、実存しない人物や物品であるわけですよ。前面・後面・側面が描いてあってもそれらは平面で、しかもイメージであって、設計図ではないわけですね。それを立体化してしまうんですから、無理が出てくる部分もあるはずで、そんなものに“精度”を求めちゃいけないんじゃないかと思うんですが、ファンの想いは違うみたいです。私なんかが見ると“スゴイよねぇ、よくここまで似せてるよなぁ”と感心してしまうものでも、「目のタレ加減が違う」とか「首の長さが」とか「全体のバランスが」とか「塗装の乱れが」とか、果ては「分割線が目立つ」とか言ってらっしゃる。金型で成型してるんだから分割線が出るのは当然なのに、それでもそれが目立ってはいけないんだそうで、ま、それがファンっていうものなんでしょうなぁ。

私がオールドデビルタイムに書いているようなことも、多くの人から見れば“それくらいのことはいいじゃんかさぁ”っていうようなことなんでしょうけども。

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