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2009年2月

2009年2月16日 (月)

世界が待ち望む、か

ほんとうにあるかもしんない、コワイ話・・・

皆の衆、「オワラッシャー」という人種が存在するのをご存知でしょうか?
「オワラッシャー」とは「終わらせるヤツ」という意味なのですよ。
その人物が関わる事柄のすべてが次々に終了してゆくのでありますよ。

私の古くからの友人に「オワラッシャー・イチ○ラ」というのがおるのです。彼は、日本人の誰でもが知っているような大企業に勤務しておるのですが、彼が配属される課は次々に廃されてゆくのです。そして、その大企業は、最近、長年親しまれてきた創業者の名が冠された会社名までもが終了してしまい、全部がカタカナの軽っちい名前になってしまったのですよ。
生み出す者がいれば終息させる者もいなければなりません。そうでなければ地球上は、いや宇宙は、生産物と情報とで溢れかえってしまうでしょう。涼宮ハルヒが情報爆発を起こすのなら、誰かが情報収束を司らねばならぬのです。それがオワラッシャーなのでありますよ。
オワラッシャーはある種の超能力者ではないのかと私は思っているのです。そんなエスパーたるオワラッシャーが日本にどれくらい生息しているのかはわかりませんが、その者たちを集めて「オワラッシャー戦隊」を組織し、イラクのような長期紛争地域に派遣するというNGOが出来ないものでしょうかねぇ。
もめごと・いさかいごと・訴訟・提訴その他もろもろ一切を終息させるオワラッシャー戦隊は世界が望んでいるはずなのですよ。
ま、しかし、マツリゴトに関わる人たちにとっては紛争あるところに利権ありでありますから、オワラッシャー戦隊の真の敵は政治家ということになりましょうかねぇ。

とか言いながら、かくいうワタクシも実はオワラッシャーなのでありますよ。
私が選択する物品はことごとく生産終了してしまいます。クルマなんぞ、私が選んだ車種はその後のマイナーチェンジなどはなく、後継車種が出ずに生産終了してしまいます。
昔から、目を付けたアーティストやお気に入りの芸人は何故かマイナーな位置に落ち着いてしまいます。
最近では、大工哲弘は公務員からフリーターになってしまい、オクノ修は闘病生活を余儀なくされ、鈴木常吉は煙草銭にも事欠く始末。

さて、次は誰がオワラッシャるのでありましょうか・・・ふっふっふ。

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2009年2月 7日 (土)

カンさまぁ~

09020701 ここ3日間、やたらと聴いているCDがあって、三上寛『寛流・韓国初ライブ2006』です。
これね、実は聴きたくて買ったんじゃないんですね。
アマゾンで買わなきゃならないものがあったんですけどもその価格が1077円で、あそこは1500円以上で送料無料ですから、お買い物総額を上げるために買ったようなもんなんですよ。
で、数ある購入予定CDリストからこれを選んだ理由は、ジャケットであります。私は三上寛のディスクジャケットのすべてを知っているわけではありませんけども、これまで、カッコいいと思えるジャケットが一個もなかったんです。すべて野暮ったい田舎っぽいケレンっぽいのね。けど、この『寛流・韓国初ライブ2006』にはビックリですよ。カッコいいもんね。ジャケットと中身は比例しないというのを“ジャケ買い”の私としては十分承知しておりまして、このアルバムの中身がどうなんだか、ひょっとしてガッカリものでもしょうがないかと覚悟して購入したんですが、が、が、が、これ、ものすごいのですよ。

この作品にはいくつもの「ものすごい」が詰まっておりやす。
ジャケットがものすごくカッコいいのは見たまんまです。
聴いて最初の「ものすごい」は録音状態です。ひどいのさ。ちょっとの音量でヒズミまくり、ざーざー雑音入りまくり、どんなレコーダーで録ったのかと不思議になるほどです。一応ノイズゲートとリミッターは使用してあるようなんですけども有効に作用してなくて、レベルがわんわん変化してます。
そんなひどい録音をなぜCD化したのかは最初の曲『某月某日』の46秒目くらいでわかります。三上寛の気合がものすごい。気合と気迫がカタチになっているんですな。全18曲、休憩曲が無いのであります。それが1時間10分収録されています。心地よく疲れます。私は三上寛の最近のライブを見たことはないんですが、どのライブでもこんなことをやっているわけはないでしょう。毎回こんなものすごいことをやってたらもっと早死にしてるはずですからね。
そして、「ものすごい」のが曲目です。この18曲ってベスト盤なんじゃないんでしょうか。『ピストル魔の少年』まで入ってるんですよ。

三上寛は「異形」です。
私には異形を扱うことができないので、このCDをオールドデビルタイムで取り上げるつもりは(いまのところ)ありません。
で、このCDをお薦めするつもりもありません。
ただ、「ものすごい」音楽を聴いてみたい人がいたら、これはねぇ、必聴でしょう。
これを聴いて(いろんな意味で)圧倒されない人がいたら、先着3名様にスーパーライフの500円お買い物券1枚進呈しますよ。

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2009年2月 4日 (水)

字ズラ

先日NHKで辺見庸の番組を放送してましたね。
ワタクシ、辺見さんの名前だけは知ってたんですが、著作を読んだことはないんですよ。ウチで購読している新聞に辺見さんの連載が隔週で掲載されていて、読もうと思えばすぐにでも読めるんですけども、読む気がしないのね。その原因は“字面(じづら)”なんです。もうね、字がぎっしり詰まってて、その中に馴染みの無い漢字が散らばってるんですよ。それだけで読む気がしなくなるんです。それにタイトルが『水の透視画法』っていうのね。読む気にならない御題なのよ。ちらっと見るたびに、なんかいいこと書いてあるかもしれないけどなぁ・・・とは思うんですが、読む気にならない字面の文章は読まないわけです。
けどまぁ、テレビだったら楽かもしれないと思って録画しておいて、昨日見たんですけども、まぁ特に感じ入ることもありませんでしたし、おっしゃってることで私が気になるようなことはありませんでした。
番組中では、日本のこと世界のこと人間のこと、いろんな問題点や、これから先はいかに行くべきかっていうことを述べられていて、正しい考え方だとは思うんですけども、私にとっては上滑りでした。
で、非常に真っ当なことをおっしゃってるのに私にとって滑ってしまうのはどうしてなんだろうかと考えていたんですが、辺見さんってね、携帯を手放せないんですってね。いつも傍らに携帯電話を置いているんですって。私は、携帯を手放しっぱなしで、持ってはいますけど、ほとんど使いません。ちょっと外出するときに引出しから取り出すと充電が切れてしまってることが多いんです。辺見さんはパソコンのことを「ピーシー」と言ってましたが、コンピウタも必需品のようです。私もコンピウタはよく使いますし、こういう機械は好きですけども必需品だとは思わないんですよね。なけりゃないでいいだろうっていう感じ。

文章を書く際の、語句の選び方、文字の並べ方、空行の配置のしかた。タイトルの付け方。機械・機器への接し方。こういうような事柄に対する感覚に微細な違いがあるだけで、それらの感覚を総合した「考えの行方」はかなり大きな違いになってゆくんじゃなかろうかと、あの番組を見ながら思っていたんですよ。
「飢餓状態とも言えるような貧困層が発生しているのに、テレビでは大食い番組を流している」とかおっしゃるわけで、いや、それゃ正しいんだけども、そんなこと言ってもですね、それはそれで双方の事情でしょとか思ったりしてね。
そんなスベリを感じてくると、なんでこの人はいつも帽子をかぶってるんだろ?とか、なんで中途半端なヒゲをはやしてるんだろ?とか、なんで黒尽くめなんだろ?とか、なんで喋りのテンポがもたつくんだろ?とか、どうでもいいことが気になってくるんですよねぇ。

でね、“人と対する”っていうことは、正しいとか間違ってるとかよりも、なんだか微細な感覚によって左右されるんじゃないかなぁと思ったのであります。

でも、最後におっしゃってた「成果を期待するのが無いっていうことはいいね」というのだけは残ってるんですよ。これは辺見さんの体の状態のことなんですね。脳出血によって起こった後遺症のために、訓練を続けなければ歩行が困難になるけれど、訓練しても元通りの状態には戻れないんだそうです。
回復という成果を期待できず、現状を維持するためだけに訓練を続けなければならないという状態。
なんだか、私の現状もそんな具合なんじゃないかと最近思っていたので、あーそうか、「成果を期待するのが無いっていうことはいいね」っていうこともアリなのかなぁと思った次第であります。

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