鈴木常吉さんのこと
最近は鈴木常吉さんについて書いてませんでしたが、つねさんはここのところ世間を騒がせておりますよ。テレビの深夜ドラマ『深夜食堂』でアルバム『ぜいご』からの曲が流れているからでありますね。
この番組への曲採用の経緯については、つねブログ「ふかふか日記」に報告がありましたけど、まぁあれはテレ隠しであって、実際は“いいものはいい”と気づく人がいたということでしょう。
番組が始まると同時に三日月をバックにして『思ひで』が流れますね。
『ぜいご』のPV?と思ってしまうほどのフィット感です。番組中には他の曲も流れます。ドラマの内容については好き嫌いが別れるところだと思いますが、ドラマに『ぜいご』が流れるのはいいよねぇ。
“テレ隠し”と書きましたが、鈴木常吉さんという方は褒められることをかなりテレる、というか避けようとする人のようです。褒められるのが嫌な人はいないはずですから、褒められるのを自分が意識することを良しとしないということなのかもしれません。
ふかふか日記においても、自分が褒められたという話はほとんど出てきません。面白いことに、いったん書いてもすぐに削除しちゃったりしてるんですよねぇ。
吉祥寺のライブハウスで歌ったときに故・高田渡さんの奥さんが聴きに来られたことがあって、終演後に「やっぱりつねちゃんの歌はいいわねぇ」とおっしゃった、という話が書かれたことがあったんです。が、数時間後には削除されてました。
なんで消すのかなぁ。いいじゃないですか、実際にあったことなんだからねぇ(それとも、この記事は私の幻覚だったんでしょうか・・・)。
つねさんと直接に話をしていてもそういうところがあって、つねさんの音楽を正面きって褒めたりすると、それをはぐらかして違う話題に持ってゆこうとするんですな。これ、けっこう面白いですから、つねさんと話す機会がある人は是非ともやってみてください。
私なんか、あつかましい関西人ですから褒められるのは大好きで、お世辞でも何でも褒めていただくとそれを真に受けて気分よくなりますけども、江戸っ子は気風のよさの裏側に奥ゆかしさを持っているようです。
私はただの鈴木常吉ファンであって、ミュージシャンでも音楽関係者でもありませんから、つねさんが京都へライブ演奏に来られたときに少し話をさせてもらうという程度で、そのときの話っていうのは、私がいろんなことを訊くという内容になります。初めて話をさせていただいたときから、こちらの妙な質問に対しても、つねさんはもったいぶらず屈託無く実に率直に答えてくれましたね。
でね、答えてくれるだけではなくてそれにまつわるいろんなことを教えてくれるんですよ。
でもですね、「そいでさぁ」とか「だけどさぁ」とか「やっぱりあれですよね」という継ぎ句の後に出てくる話が、ときに、“ん?えぇ?それってなんの話なのかな・・・”っていうときがあるんですよ。それまでの話とはぜんぜん違う話を始めてしまうっていう感じね。
で、だんだん聞いてゆくと、ある接点で前の話とつながっているんですよ。あ~なるほどそういうことですか、って笑ってしまうんですけども。
その不思議な話し方が何かに似てるなぁ・・・と、考えてみたら、つねさんの詞なんです。
鈴木常吉の歌詞って一番と二番と三番がどこでつながってるのかよくわからないものがあります。いやひとつのコーラス内でもつながりが不鮮明なことがあります。
SFの世界観で「平行世界」というのがあって、これは少しづつ様相の異なる世界が時間軸上に平行して存在しているというものなんですが、鈴木常吉の歌詞にはこの平行世界を自由に移動しながら見てきたことを綴っているようなフシがあるんですね。私はこれを「鈴木常吉が用いる“様相の転変”」と名付けています。これは、ひとつの接点を元にして、それにまつわるいくつもの様相をランダムにつないでゆくというやり方です。
つねさんのそれぞれ詞における“様相の転変”は、試行錯誤の末のものなのか、それとも一発決定のものなのか、どういう創作過程を経ているのかがわからなかったんですが、はっはーんと思う出来事があったのですよ。
厚かましい関西人である私は、自分で作った歌を自分で弾き語りしてホームページに載せてます。それをつねさんが聞いてくれたようで、その中の『みず』という歌を褒めてくれたんですよ。メールには「ぼくはああゆうのは真似しようとしてもできない」と書かれていました。・・・いや、あの、あのですね、『みず』の詞は、実は「鈴木常吉が用いる“様相の転変”」を真似して創ったんですよ(つねさんにもメールで申し上げましたけども)。
真似して創った歌を、その真似された本人が「真似しようとしてもできない」と言っている不思議。
鈴木常吉はたぶん“天然詩人”なんでしょうね。
だから自分の行っている創作を“自覚的に”わかっていないのだと思われます。
考えて創りだしているのではなくて、考えられないうちに出来てしまってるのではないか。
私はバンジョーの練習をするときによく『疫病の神』を唄っているんですけど、この歌、難しいのよ。メロディーは簡単なんだけど、それに言葉をのせるのが難しい。言葉が独自のメロディーを持ってしまってるんですね。言葉が独自のメロディーを持っているのは、歌詞ではなくて「詩」です。CDジャケットに記載されている鈴木常吉の歌詞は字面を見ていると「歌の詞」のように見えますが、実はほぼ詩に近いものなんですよ。それをつねさんは平然とメロディーに乗せて唄ってしまう。ま、自分でつくったものなんだから平然なのは当たり前かもしれないけど、詩というものの言葉のメロディーをいったん解き放ってから別のメロディーで唄うというのは簡単なことではないんですね。
私から見ると、鈴木常吉の「歌」は“特異”です。
その特異さゆえに、世間を刮目させるには至らないだろうと思っているのですが、今回の『深夜食堂』のようにチラリチラリとどこかに“お目見え”してほしいですね。こんな「歌うたい」がいることを、知るべき人に知って欲しい、っていうかねぇ。
鈴木常吉、昭和29年生まれ。
しかしこの人、これからじゃないかと、
60歳過ぎてからじゃないかと期待してるんですよ。




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