2009年10月28日 (水)

鈴木常吉さんのこと

最近は鈴木常吉さんについて書いてませんでしたが、つねさんはここのところ世間を騒がせておりますよ。テレビの深夜ドラマ『深夜食堂』でアルバム『ぜいご』からの曲が流れているからでありますね。
この番組への曲採用の経緯については、つねブログ「ふかふか日記」に報告がありましたけど、まぁあれはテレ隠しであって、実際は“いいものはいい”と気づく人がいたということでしょう。
番組が始まると同時に三日月をバックにして『思ひで』が流れますね。
『ぜいご』のPV?と思ってしまうほどのフィット感です。番組中には他の曲も流れます。ドラマの内容については好き嫌いが別れるところだと思いますが、ドラマに『ぜいご』が流れるのはいいよねぇ。

“テレ隠し”と書きましたが、鈴木常吉さんという方は褒められることをかなりテレる、というか避けようとする人のようです。褒められるのが嫌な人はいないはずですから、褒められるのを自分が意識することを良しとしないということなのかもしれません。
ふかふか日記においても、自分が褒められたという話はほとんど出てきません。面白いことに、いったん書いてもすぐに削除しちゃったりしてるんですよねぇ。
吉祥寺のライブハウスで歌ったときに故・高田渡さんの奥さんが聴きに来られたことがあって、終演後に「やっぱりつねちゃんの歌はいいわねぇ」とおっしゃった、という話が書かれたことがあったんです。が、数時間後には削除されてました。
なんで消すのかなぁ。いいじゃないですか、実際にあったことなんだからねぇ(それとも、この記事は私の幻覚だったんでしょうか・・・)。
つねさんと直接に話をしていてもそういうところがあって、つねさんの音楽を正面きって褒めたりすると、それをはぐらかして違う話題に持ってゆこうとするんですな。これ、けっこう面白いですから、つねさんと話す機会がある人は是非ともやってみてください。
私なんか、あつかましい関西人ですから褒められるのは大好きで、お世辞でも何でも褒めていただくとそれを真に受けて気分よくなりますけども、江戸っ子は気風のよさの裏側に奥ゆかしさを持っているようです。

私はただの鈴木常吉ファンであって、ミュージシャンでも音楽関係者でもありませんから、つねさんが京都へライブ演奏に来られたときに少し話をさせてもらうという程度で、そのときの話っていうのは、私がいろんなことを訊くという内容になります。初めて話をさせていただいたときから、こちらの妙な質問に対しても、つねさんはもったいぶらず屈託無く実に率直に答えてくれましたね。
でね、答えてくれるだけではなくてそれにまつわるいろんなことを教えてくれるんですよ。
でもですね、「そいでさぁ」とか「だけどさぁ」とか「やっぱりあれですよね」という継ぎ句の後に出てくる話が、ときに、“ん?えぇ?それってなんの話なのかな・・・”っていうときがあるんですよ。それまでの話とはぜんぜん違う話を始めてしまうっていう感じね。
で、だんだん聞いてゆくと、ある接点で前の話とつながっているんですよ。あ~なるほどそういうことですか、って笑ってしまうんですけども。
その不思議な話し方が何かに似てるなぁ・・・と、考えてみたら、つねさんの詞なんです。
鈴木常吉の歌詞って一番と二番と三番がどこでつながってるのかよくわからないものがあります。いやひとつのコーラス内でもつながりが不鮮明なことがあります。
SFの世界観で「平行世界」というのがあって、これは少しづつ様相の異なる世界が時間軸上に平行して存在しているというものなんですが、鈴木常吉の歌詞にはこの平行世界を自由に移動しながら見てきたことを綴っているようなフシがあるんですね。私はこれを「鈴木常吉が用いる“様相の転変”」と名付けています。これは、ひとつの接点を元にして、それにまつわるいくつもの様相をランダムにつないでゆくというやり方です。
つねさんのそれぞれ詞における“様相の転変”は、試行錯誤の末のものなのか、それとも一発決定のものなのか、どういう創作過程を経ているのかがわからなかったんですが、はっはーんと思う出来事があったのですよ。
厚かましい関西人である私は、自分で作った歌を自分で弾き語りしてホームページに載せてます。それをつねさんが聞いてくれたようで、その中の『みず』という歌を褒めてくれたんですよ。メールには「ぼくはああゆうのは真似しようとしてもできない」と書かれていました。・・・いや、あの、あのですね、『みず』の詞は、実は「鈴木常吉が用いる“様相の転変”」を真似して創ったんですよ(つねさんにもメールで申し上げましたけども)。
真似して創った歌を、その真似された本人が「真似しようとしてもできない」と言っている不思議。

鈴木常吉はたぶん“天然詩人”なんでしょうね。
だから自分の行っている創作を“自覚的に”わかっていないのだと思われます。
考えて創りだしているのではなくて、考えられないうちに出来てしまってるのではないか。

私はバンジョーの練習をするときによく『疫病の神』を唄っているんですけど、この歌、難しいのよ。メロディーは簡単なんだけど、それに言葉をのせるのが難しい。言葉が独自のメロディーを持ってしまってるんですね。言葉が独自のメロディーを持っているのは、歌詞ではなくて「詩」です。CDジャケットに記載されている鈴木常吉の歌詞は字面を見ていると「歌の詞」のように見えますが、実はほぼ詩に近いものなんですよ。それをつねさんは平然とメロディーに乗せて唄ってしまう。ま、自分でつくったものなんだから平然なのは当たり前かもしれないけど、詩というものの言葉のメロディーをいったん解き放ってから別のメロディーで唄うというのは簡単なことではないんですね。

私から見ると、鈴木常吉の「歌」は“特異”です。
その特異さゆえに、世間を刮目させるには至らないだろうと思っているのですが、今回の『深夜食堂』のようにチラリチラリとどこかに“お目見え”してほしいですね。こんな「歌うたい」がいることを、知るべき人に知って欲しい、っていうかねぇ。

鈴木常吉、昭和29年生まれ。
しかしこの人、これからじゃないかと、
60歳過ぎてからじゃないかと期待してるんですよ。

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2009年10月26日 (月)

BBB

あ、さて、昨夜は久しぶりにライブに行ってきました。
京都・拾得、「BBB(登敬三・河井真一・船戸博史)」であります。

ん?このBBBって何の事なんだろね。
以前なにかのグループでBBBっていうのがあって、その理由は「バカが3人」っていうことでしたけど、こっちのBBBはどういうことなんだろか?

今年、BBBを聴くのは、2月4月に続いて3回目です。
今回は前2回に比べると穏やかめの演奏で、ゲストに女性ボーカルも入ったりして、まぁ秋ですから、“突撃”BBBとはちょっと違った趣でした。
でも、リハビリ中の私としては助かりました。かなり回復してきたみたいですが、まだなんとなーく頭がボヤーンとしてますので、そこへ怒涛の突撃をかけられるとちょっと参ってしまうでしょうからなぁ。

で、今回もデジカメのムービーで撮った映像をアップしました。
この日のラス曲『IkoIko(アイコアイコ)』←クリックです(約9分の演奏で37MBもありますからダウンロードには時間がかかります)。
デジカメの貧弱なマイクでは低音がまったくというほど入ってませんが、この日の船戸さんは正に“暴れフナト”で、バッキンバッキン弾(ハジ)きまくってました。

右側の人がジャマで、登さんが映りきってませんが、この人はゲストのボーカル田中智子さんなんですよねぇ。私の前の席に座ってて、ちょっとちょっとぉって感じですが、まぁね、年齢層の高い客席にお若いキレイドコロ(真っ赤なドレスにハイヒール)なのでよろしゅうござんした。

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2009年10月16日 (金)

くろばりっ!

最近、いやずいぶん前からですが、テレビをリアルタイムで見るということがほとんどなくなっておりますよ。放送されている状態で見ているのは、晩飯を食いながら見ているNHKの7時のニュースか、その周辺の番組くらいのもんで、それ以外はすべてレコーダーに録画してから見てますね。
で、そのHDレコーダーの中身はっていうと、アニメ・落語・プロレス・F1がほとんどで、その隙間に映画がちょろっと混じっております。ドラマ・野球・相撲・お笑いはまったく見なくなってるんですよねぇ。

でね、いい歳してアニメなんですが、10月からのクールで始まったものに『テガミバチ』っていうのがあります。どんな話なんだかよくわからずに録画してたんですが、オープニングテーマがカッコよくてねぇ、おっ、スガシカオみたいな歌い方だなぁ~と思ってたらほんとにスガシカオでした。スガさんがアニソンをやるとはなぁ。
その曲は『はじまりの日』(←クリックでYouTube)で、オープニングアニメもスッキリしていて美しいし、最近私が見たもののなかでは出色でありますね。

『テガミバチ』の内容は、SF的仮想世界の辺境地域に「テガミ」を届ける郵便配達者のお話のようです。
この辺境の居住地域の間にある荒野には鎧虫(ガイチュウ)と呼ばれる生物が生息していて人間を襲うのですな。国家公務郵便配達員・テガミバチはこの巨大生物を粉砕するための武器を持っていて、それは「心弾銃」というのですな。心弾銃の薬きょうは常にカラで、射撃の瞬間にこの薬きょうに「こころ」の欠片である心弾を装填して撃ち放つという・・・、いやぁ、いかにもマンガSF的な発想なんですが、これが意外にね、いいのよ。グッとくるのさ。
この心弾を装填するというのは「こころをこめる」のシャレ?とも思うのですが・・・

最近、「心をこめて」っていう言葉、なんかねぇ、「がんばる」と同じように、なんだか実質的な意味の無い、雰囲気だけの言い回しのように感じますよ。
その原因は、心をこめる対象が数少なく、また、心がこめられたモノが身の回りに数少ないということなのではなかろうか、と、思うのね。ユニクロ的マクドナルド的なものがダメだと言う気はないけどさぁ、あれらに心がこめられているとは感じられないのよ。オレ、ユニクロの店に入って“欲しい”と思ったものなんて何にもないもんね。
人っていうのはですな、心をこめる対象や心がこめられたモノが身の回りに数少ないと気が荒(すさ)むんじゃないのかと、この間“そんな仕事”をしながら考えていたら、この『テガミバチ』が始まったのでね、ん~、そーかなるほどとねぇ。

んなわけで、ワタシもそろそろ心弾を装填して、オールドデビルタイムに取り掛からねばと思っておりますよ。前回の記事が6月28日だもんなぁ。

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2009年10月11日 (日)

方便のありか

ネット上には、い~っぱい、ブログやらホームページがあるのに、“これが楽しみっ!”っていうのは少ないもんです。
ミュージシャンのサイトもいっぱいありますが、それらの中で私が楽しみにしてるのはこれっ!、[バスカー土門の人生相談]であります。
これは土門さんが自前で持ってるサイトではなくて、『英国ニュースダイジェスト』(イギリス在住の日本人に向けた生活情報サイト)の中のコラムで、イギリス在住の日本人のお悩みにイギリス在住の土門秀明氏がお答えするというものです。
様々なお悩みに対する土門さんの回答はまさに快刀乱麻・・・とまでは言わないけども、っていうか「方便」なのよ。「方便=事をなすためのよりどころ」、生きてゆくうえでの基本姿勢のひとつを土門さんはポコンッと示しますなぁ。これが心地よい。

9月29日付のには笑ってしまいました。
お悩みに回答を出した土門さんは、さらに続けて
「私の場合『ギター弾いて日々ストレス無く生活すること』が目標ですので、もう既に人生大成功です」
と書いてます。

土門秀明氏は日本で会社員として働いていたときに非常に大きなストレスを抱え、それから逃れる為に当ても無いのにイギリスに渡った人らしいんですね。そしていま、ロンドン地下鉄の構内で演奏するバスカーという職業についている、と。
バスカーというのはいわば“自由形ミュージシャン”ですが、しかし自由形だけにそれを職業として生活してゆくのは大変なようです。でも、ストレスはない、と。
「ストレス」っていうものは人が感じてこそ存在するもので、「ストレス」というモノが厳然として存在しているわけではないんですね。私は、人として生きている限りストレスを受けるのはしょうがないことであって、ストレスから逃げ続けるか、耐ストレス性を身につけるしかしょうがないのだと思っていましたけども、「『ギター弾いて日々ストレス無く生活すること』が目標」っていう人がいるというのは、これは面白いし、嬉しいことなんですよ。ま、土門さんにしても、まったくストレスが無いわけではないんでしょうけども。

土門さんはビートルズが大好きな人ですが、私はビートルズにはさして興味はないんです。でも、土門秀明が弾くビートルズは好きなんですよ。『Here, There and Everywhere』のメロディーは最近ちょくちょく口ずさむんですが、ビートルズ本体のを聴いてもそんなにいいとは思わない。でも土門さんがギターで弾いているのはいいんですなぁ。
極小のストレスで生きている人が弾き出す音は、やっぱし違うようです。

日本のマスメディアから流れてくる歌・音楽のどれもが多分に神経症気味(に私には聞こえる)なのは、ミュージシャン自身が大きなストレスにさらされているからかもしれません。
「『ギター弾いて日々ストレス無く生活すること』が目標」って、一見お気楽そうだけど、これは難しいことですよ。でもそれが出来る人こそがミュージシャンの本来なのかもしれないと、そう思ったりしておるのです。

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2009年10月 6日 (火)

そのとーりです

きのう、私は会社を休んだ。
今日も、私は会社を休んだ。
明日も、私は会社を休むつもりだ。

Rtkiji173 ウチの「会社」は株式会社なのだが、といっても、従業員は私ひとりで、私が会社を休むということは休業を意味するのである。

ここのところ、一月半くらい、私はまったく休み無く働き続けていた。
土日も盆休みもシルバーウィークも無かった。
そして、きのうまでの約3週間は同じ仕事をしていた。
この仕事、気に入らない仕事だったが、依頼されるとなかなか断れない。
依頼主はこれまで取引のあった得意先なのだが、その仕事の出所がどうもあやしい。その上、“この不景気にこれだけ多くの数量が?”という不気味さ。そしてその質は明らかに悪い。そんな仕事だ。
“そんな仕事”を、3週間も休み無く、一日に10時間以上も続けていると、気持ちがスサんで体調が崩れてゆくのがわかる。電話が鳴っただけでめまいがし、その仕事のことを話していると悪寒がし、担当者の言葉のいちいちが気に障ってくる。
そして、完了も程遠い、全体量の半数をこなしたところで、私は一方的に区切りをつけて依頼主に断ってしまったのである。いわゆる「ケツをまくる」というやつだ。
納品書に記載していた金額はかなりのものになっているのだが、ケツをまくったからにはこれが支払われる保障はない。
もうしかし、それでもいいのだ。気に入らない、気持ちがスサむ仕事からは離れたい。
でも、なかなかそうはいかないのが「世の中」であることもわかっている。
今回はいろんな意味で無茶をした。

そしてガタガタの状態で医院に行った。
乱打する不整脈、異常な値を示す血圧、それを確認した医師がこう言った。
「気が立ってるなぁ・・・」
“気が立つ”とは「(悪く)興奮する イライラする」ということだ。
私は勤めて平静を装っていたつもりだが、非常にトゲトゲしい顔つきをしていたことだろう。
私が診てもらっている医師は言葉の使い方がうまい。
“症状が改善する”という意味だけでも、「落ち着く」とか「楽になる」とか「上向く」とかいう言い方を使い分けている。
そして昨日言われた「気が立ってるなぁ・・・」

たぶん、今の日本は「気が立ってる」人たちがとても多いのだと思う。

「世の中」ってそういうものなんだろうかなぁ。
明日もいちにち、寝ていようと思う。

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2009年9月17日 (木)

木の足

ずいぶん以前のことですが、ラジオ番組『小沢昭一的こころ』を聞いていたら、小沢さんがひとつの俳句を紹介したんです。

とこずれに おしろいぬりぬ けんぎゅうか

これ、聞いたときにゾゾッとしたんですよ。聞いたその瞬間はハッキリとした意味はわからなかったんですが、言葉の組合せの感触がね、ソゾッとね。

床ずれに白粉ぬりぬ牽牛花 (牽牛花とは「朝顔」のことです)

「床ずれ」と「白粉」と「牽牛花」という言葉のつながりが“何やら”を感じさせます。
そして小沢さんが、この句の作者・富田木歩(とみたもっぽ)の境涯を短く語りました。
木歩は明治―大正期に生きた俳人であり、幼少期に起こった高熱のため両足が麻痺し生涯歩行が出来なかった人で、大正12年・関東大震災による火災で焼死したのがなんと26歳という若さです。
朝顔が咲いているような暑さのころ、夏祭りの囃子が聞こえ、元気な子供たちは祭り半纏を着て、鼻っ柱に白粉で化粧してワイワイと出かけてゆく。でも、歩けない木歩は座しているか臥しているかしか出来ないのですね。
そして、「床ずれに白粉ぬりぬ牽牛花」

あのですね、富田木歩のWikipediaはすごいですよ。
普通、ウィキペディアは“解説”にとどまっているものですけども、木歩のは誰が記載されたのか、もうね立派な読み物になってます。特に関東大震災直後の混乱の中で、新井声風が木歩を助けようとして奔走をする箇所は鬼気迫るものがあります。

えーっと、あっそう、この前のふたつの記事は病気ネタでした。
で、俳句とか文章とかで、自分の病気をネタにしてる人ってけっこういるじゃないですか(ネタと言ってはいかんかもしれませんがね)。新聞や雑誌の投稿俳句ではジイさんバアさんが自分の病気ネタを披露してますし、芸能人なんかはそれで本書いたりしてますね。「ガンを患って人生が変わりました」とかなんとか。
や、ん、病気っていうのはそれは人間の一大事であって、その最中にはいろいろな考えに至るんでしょうけども、それをただ人に説明するっていうのは“どうなんだ?”と思うのよ。余程その人に関心がなければ、“他人から見た一個人に起こった事柄”の説明なんて面白いもんじゃないですよ。
で、富田木歩なんですけども、この人の生涯は障害だらけの生涯であって悲惨もいいところで、ウィキペディアに記載されているように説明だけでも息を呑むようなものですが、でもこの人の多くの句は、その自分の状況や境涯を“説明”してはいないと感じられるんですよ。それは、なんつーか、自分のことを他人事のように取り扱っていて、ん~、なんつーか、それを受け取る人のことを考えていて、なんだろな~、エンターテインメントと言っちゃおかしいのかもしれませんが、そういうものだと思うんですよ。

でね、私も歳とってきてですよ、病気なんかと大変お近づきになってきたみたいなので、今後、病気ネタとか書いてしまうことになるんでしょうけど、それをなんとかできないものだろうか、説明じゃない何かに出来るようになれないものだろうかと思ったりしておるのですな。

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2009年9月 9日 (水)

やすまなきゃ

「しいたげられた私に『しいたけ海苔』!」

これ、1971年に放送されていた桃屋のテレビコマーシャルなので、知ってる人は、まぁ40代後半くらいからでしょうかねぇ。三木のり平の顔がアニメになっていて、のり平さんは声だけ出演していましたね。このCMシリーズにはいろんなパロディがありましたけど、この『マッチ売りの少女』のパロディに出てきたこのコピーは私にとってもっとも印象深いものでした。

と、このコピーのようなことが、先日、私に起こったのですよ!

「高潔なワタシが『高血圧』?」

ワタクシ、医者から高血圧だって言われちゃったのよ。
前の記事で冷房病だって書いてたんですが、でもどうもそれだけじゃないような気がして検査してもらってたら、「高血圧」だって。そしてその上「不整脈」だってことが判明してしまったのよ、奥さん。ホルター心電図っていう装置を取り付けて24時間の心電図を記録したんだけども、24時間で4900発もの不整脈が、昼夜の別なく発生していたんだよねぇ。これゃ動悸が気になるはずですわなぁ。
高血圧で不整脈の人って、私のイメージからすると、「酒飲んで、タバコ吸って、辛いもの大好きで、運動不足で、肥満の中年オヤジ」なんですよ。でもね、私は酒あんまり飲まないし、タバコ吸わないし、甘いもの好きだし、運動けっこうやってるし、(ギリギリ)肥満じゃないのよ。ま、中年オヤジだけどさ。でも、高血圧&不整脈なのね。
いやぁ、「寄る年波」っていうのを感じましたよ。
知らないうちに歳の波がジワジワと足元に打ち寄せているんだねぇ。

私の今年の前半はかなりの活動をしてたんですよ。
多くのライブに足を運んだし、ブログにはけっこう念の入った記事を書いてたし、楽器や歌の練習もしてたし、それ以外にもあれやこれやと動いてて、もちろん本業もちゃんとやってたのでね、“おぅ、オレもまだまだ大丈夫じゃねーの、このまま行ければ素敵じゃねーの”と思っていたんですよ。でも、その裏で、やっぱ年波は寄ってたってことですなぁ。素敵なことにはなかなかならないもんでございます。

と、いうようなことで、今年いっぱい、いろんなことを休みますので、たぶんブログの記事はスカスカになるはずで、本年の残り4ヶ月のライブ観戦予定は10月25日・拾得でのBBBのみであります。
『B.B.B.』、これだけは這ってでも聴きに行きますっ!(客が這ってきたら拾得は迷惑だろうなぁ)

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2009年9月 1日 (火)

夏眠

やっと9月だ。

やーもー、今年の夏は散々でした。

7月中旬、クーラーの冷風に当たったとたんに悪寒がしたのですよ。
従来、私の夏は「クーラー・すいか・ジャイアントコーン」であって、クーラーなんぞはエコ冷房なんて論外であって、25度以上の設定にしたことはなかったとですよ。そんな対冷房性には絶対の自信を持っていたワタシがなんと冷房病を発症したのよ、奥さん。
冷房病っていろんな症状が不安定に出てくるんだけども、ワタシにとって問題だったのは「動悸」であります。これは不思議なもんですね。別に心臓に疾患があるわけではないので、動悸が起こってもブッ倒れるわけではないのだけども、すっごい気持ちワリーのね。冷房病が発症してからは、強い冷房のかかっている場所へ入っただけで動悸が激しくなります。いやぁ、わたしゃこれまで「動悸・息切れ」なんぞという症状はどこかの誰かに起こるものだと思っていたのですよ。「動機が不純」ということはね、これまで幾たびも自覚したことはあるんですが、「動悸で不安」なことなんてなかったですからね。
冷房病っていうのは自律神経失調が原因らしく、一度なってしまうと一週間やそこいらでは治らないようで、実際一ヶ月以上経過した今でも、ちょっとはマシになってますがかなりダメですね。

そんなワケで、8月29日、つねちゃんオサムちゃんのライブには行けなかったのでありますよ。プロモーションしている本人が行ってないというのは甚だアレですけども、なんせ動悸が起こった時のワタシは“頭の悪い探偵”みたいな顔をしているらしく、みなさんがライブに聴きこんでいる中に、ひとり、頭の悪い探偵がいるというのはいかがなものかと思われたわけで、オールドデビルタイムファンの皆さん(いるのか?)失礼いたしましたです。

「冬眠」というのがありますが、今年の私は「夏眠」状態で、必要最小限のことしか出来ませんでした。まだその状態が続きそうなので、オールドデビルタイムもこちらのランタイムも、たぶんかなりの期間動けそうにありません。
しかしネタは溜まっておってですね、「ネタ帳」はギッシリですから、秋が来たなら開陳いたします。

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2009年7月20日 (月)

硬貨福岡

日本に消費税が導入されたのは20年前です。
もう20年も経つんですなぁ、あーぁ、あのころ、ワタシは若かった・・・。
♪ いっちえーんだーまの たーびぃがぁらす~ ♪、って、消費税導入以降、財布の中に1円・5円が増え始めましたね。
でね、私の場合、支払いのときに、たとえば金額が617円だった場合には、500円+100円+10円+5円+1円×2の計6枚を財布から出しますが、これが683円だったりしたら500円+100円×2の計3枚を出して釣銭17円を受け取るか、千円札で317円の釣銭を受け取ります。
このね、支払い金額の違いによって財布の中の硬貨の量が変わってゆくわけですよ。617円なら硬貨6枚が出てゆきますが、683円の場合は逆に硬貨7枚が入ってくることになったりするわけです。

何の話をしとるんだ、コイツは??と思うでしょうが、まぁ我慢して読みたまえな。

でね、私、不思議に思うんですけども、この、「617円タイプ」の支払額と「683円タイプ」の支払額は交互にまんべんなく発生することはなく、これが偏るんです。
Rtkiji169 つまり、硬貨排出タイプの支払金額が重なって、財布の中の硬貨がどんどん減ってゆき、小銭入れの中には500円も100円も50円も無くなって5円玉一個と1円玉2個だけってときがあったり、逆に、釣銭発生タイプの支払金額ばかりが続いて財布の中に10円・5円・1円が激増してパツンパツンになってしまう時とがあるってことですよ。
どおよどおよ皆の衆、そういうことってあるでしょ。
ねぇねぇ、あるわよねぇ、奥さん。
世の中の不思議っていうのはいろいろあるものですけども、この硬貨フローの偏向というのは実に不思議でねぇ・・・

“偏る”といえば、「出来事」も偏るもので、吉事・凶事や慶事・弔事も続く場合があって、その他に、本人に直接関わりのある事ではないんだけれども、トラブルに巻き込まれることもありますね。
え~、あのですね、ワタクシ、最近、それがありました。
ひとつは、友人の離婚騒動に何故か巻き込まれてしまって、共通の友人たちにメールやら電話で連絡を取りまくらなければならないというてんわやんやの事態に陥っていたわけですよ。
もうひとつは、親戚の親子不仲による会社分裂で、ウチとは直接関係ないのではありますが、お節介にも首を突っ込んでしまって、なんだかんだと騒ぐことになったのですな。
このふたつがほぼ同時に発生して、どちらも私自身には直接の影響はないのにあたふたしちゃいまして、そんな最中に考えていたのが財布の中の硬貨量の変動だったのですよ。

ま、そんなわけで、この話にオチはないのでありまして、我慢して読んでもらったわりには、お粗末っ!

あっそうそう、そんなウロウロで、11日のオクノさんのライブに行けなかったのが残念でありました。ま、京都では8月にオクノ修と鈴木常吉のジョイントライブがあるようなので、まぁいいか。この件については、また改めてお知らせしますが、最近のオクノさんはほぼ月イチでライブやってらっしゃいますから調子よさそうですな。

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2009年7月10日 (金)

ブロムバーグの言葉

オールドデビルタイムに“いい音”ってことを書いてましたが、ギターの“いい音”ってどういうのかっていうことなんですよ。

ギターの“音”はボディーによって決まってしまう部分が大半なんですが、弦の選択によって変える事が出来る部分もありますね。
で、一般的に、弦は新品に張り替えたときにいい音を発するのだということになってます。
前の記事で出したギルドや、マーチン、ギブソンというようなギターはスチール弦を使用しますが、スチール弦の音は張ってからの経過によって三段階に分けられると思うんですよ。
第一期 新品を張った直後から3日間くらいは(4弦あたりで)「ビィーン」というブリリアントな鳴りがします。
第二期 4・5日すると若干音がくもってきて「ブィーン」と鳴ります。これが2週間くらいですね。
第三期 一ヶ月もすると「ボォーン」というコモった音になってしまい、これ以上変化することはありません。
このような音の変化は弦の表面が錆びてくるからだと聞いたことがあるんですが、どうなんでしょうね、確かに弦表面の輝きが落ちるので薄い錆で覆われるているのでしょうけど、それだけが原因なんでしょうかなぁ。これ、子供のころからの疑問なんですけどね。
でね、私にとっての弦の“いい音”っていうのは第一期じゃなくて第二期から第三期に入る中間くらいだと思っているんですよ。つまり、ブリリアントさが少しずつ無くなってきて、それでもまだ指(やピック)の引っ掛け具合で「ビィーン」と鳴らせるという、“渋さ知ってる”な状態ですよ。この段階の音が好きなんですけども、ただこの“いい音”は、マーチン弦で一番安い80/20 Bronzeの場合なんかだと5日間くらいしか続きません。その後は一気に落ちてしまいます。
この、ブリリアントでなくなった頃の音を好むのは私だけではないと思われ、ブルーグラスの超絶ギタリストであるトニー・ライスもそうなのではないかと思うんですよ。彼の録音では「いかにも」な感じのブリリアントさは無くて、どうも新品を張ってからしばらく弾きこんだ状態で録音してると感じられますしね。

どんな楽器でもそうなんでしょうけども、自分の理想とする音を発する楽器を手に入れられることっていうのはまず無いんでしょう。前の記事で出していたギルドF-20も、質の高い音ではあるんですけど私が欲しい音ではありませんでした。でも、あれを入手したころにデビッド・ブロムバーグ(David Bromberg)のインタビューを読んで、あーそうなのかなぁ・・と思ったんですよ。
「あなたの持っているギターから思うような音が出せないことはよくあることだ。しかし、その、思うように鳴らないギターが新しい音楽を教えてくれることがあるんだよ。」
確かに、最近録音して「ピッチ1」に出しているような曲は、あのギルドの音があったからこそ、なのかもしれませんしね。

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